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小笠原へ行ってきました!

小笠原母島  乳房山

 

2026年2月18日
 昭和42年 機会科卒 飯田義男

2025年の大イベントを終え、かつ、渡航先のガイドさんから年賀状をいただき、忘れるなよ!とのメッセージと受け止め記録をまとめます。

【今回のイベント】
妻と娘の3人で11月27日から12月8日の12日間11泊(船内2泊)でした。

☆11/27(金)11:00東京竹芝出港<おがさわら丸で24Hr 980km>
☆11/28 10:00小笠原父島二見港入港 11:00レンタカーGet 14:00ビジターセンターにて
 小笠原の名称歴史を学ぶ、おがさわら丸は3代目(初代は東京から2日掛り)
 16:00宿SeaGlass到着(28,29,30,1,2&5,6の7泊)持参のお米で手作り夕食
☆11/29 9:00 ガイドツアー
 <戦跡ツアーガイド板長さんこの板長さん85歳から年賀を>
 夜明山(307m) 戦跡各所 通信所、発電所、砲台などなど多数 丸八の木も解説
 16:30<別れて>旭山(267m)へ、ウェザーステーションにて素晴らしい夕日を
 市内公園でライブ鑑賞(船内の演奏者も参加)  本日の徒歩9,240歩6.6km
☆11/30 9:00 コペぺ海岸にてシュノーケル15:00妻娘は宮野浜でシュノーケル 義男は
 大神山神社参拝 本日の徒歩10,250歩7.2km
☆12/1 長崎展望台(兄島,東島など展望)、夜明山(307m)で貝(マイマイ)に出会う、
 中央山頂(319m)にて昼食、 亜熱帯農業センター、観光協会
☆12/2 水産センター(ウミガメが沢山)、海洋センター(スタンプ沢山収集)、
 三日月山展望台(強風の大崖で写真)
☆12/3 7:30 父島二見港出港<母島丸で2Hr50km>  9:30 母島沖港到着
 レンタカーGet、都道最南端の南崎、小富士、ワイビーチ(海がとってもキレイで
 シュノーケルでウミガメを観察)、すりばち展望台 16:00宿 南風 到着(3,4の2泊)
 本日の徒歩12,930歩9.5km
☆12/4 9:00 ガイドツアー<ガイド茂木さん> ローズ記念館、北港、北村、石門、
 御幸之浜 12:00<別れて>清見ヶ丘、鍾乳洞、南京浜、鮫ヶ崎展望台
 本日の徒歩8,230歩5.9km
☆12/5 8:10 乳房山登山10:15山頂着(462m) 大きなガジョマルの木に励まされて登頂
 14:00 母島沖港出港 16:00 父島二見港着 レンタカーGet
 本日の徒歩13,580歩10.0km
☆12/6 9:15 ガイドツアー<ガイド並木さんレンタカー屋社長> 小港、常世の滝、衝立山、
 千尋岩(海からはハートに見える岩、ここへはガイドさん無しでは立ち入れない
 ツアーコース)にて食事 (並木氏奥さんの弁当)本日の徒歩17,530歩12.9km
☆12/7 宮の浜海岸(強風と雨模様で引上げ)、亜熱帯農業センター
 15:00 父島二見港出港<おがさわら丸で24Hr >
☆12/8 15:00 竹芝港帰着

小笠原丸 11,000トン

【なんで小笠原なの】
☆学生時代に実家の鶏小屋屋根が台風で飛ばされるのを見て台風の恐ろしさをしみじみと感じていました。小笠原がいつも台風の通り道とニュースされ、大変だろうな・・一度どんな島なのか行ってみたいな!と思っていたところ、娘が2年前に行って「とても良い島々だった」と今回誘ってくれました。
☆ちょうど2ヶ月前に妻娘と義母96歳を同行した八丈島で、島を楽しむために購入した「しまぽ通貨(56,000¥/1人*2名で購入80,000¥分使用可能)」が残っていて使用できるよということで小笠原行きを決定した。

【小笠原へのアクセス】
☆小笠原へは飛行機便が無く、定期便は船「小笠原丸」のみ、しかも定期は
 1週間に1回のみ。行った感想では、島々が多く 飛行場の建設は難しく、
 なおかつ島の人々は飛行機を望んでいないよということでした。
☆物資の輸送も週1の船のみで、本土に比べて物価高になっているようでした、
 行ったスーパーでは、お米5kgが7,500円で置いてありました。

【小笠原の歴史】(ビジターセンター資料より)
☆小笠原の名称は、1593年(文禄2年)に信州深志の城主小笠原貞頼が伊豆の
 南方の3つの舞人島を発見し、徳川家康に報告したところ、当時の
 権力者豊臣秀吉から小笠原島と名付け、貞頼の所領とされた。
☆明治新政府が1876年(明治9年)小笠原の日本統治を各国に通告し、
 1878年(明治11年)日本人移民200名、開拓地40ヘクタールで
 綿花やサトウキビの栽培が盛んに行われた。
☆小笠原諸島の産業が最盛期だったのは1939年から1942年
 (昭和14から17年)だった。
 年間収入は農家人1人7千円・漁業は1人4.5千円(総理大臣で
 8千円の頃に)だった。
 1944年(昭和19年)に本土への強制疎開が始り、以後は欧米人のみとなった。
☆占領下の小笠原 1945年(昭和20年)9月3日、小笠原の日本軍降伏調印が
 行われ、以後24年間アメリカ軍の占領下となった。
☆返還後の小笠原 アメリカに対し86回におよぶ返還嘆願の結果、
 1968年(昭和43年)
 6月26日に返還式が行われた。1979年(昭和54年)小笠原村が発足、現在に至る。

【感想】
☆大変忙しいツアーでしたが大いに満足しました。特にツーガイドさん達の
 島を愛する感情には魅入るものを感じました。いたる所に太平洋戦争の
 痕跡があり、当時は大変だったんだろうなと思わせられました。
☆島の皆さんの生活が お米の値段に見られるように大変だろうなと
 思いつつ、観光ベース収入で旅行者に気をつかっていました、
 母島からの出向では宿の仲居さんがレイ(出向時に海に投げると再来の
 機運が高まるとのこと)をもって見送りに、父島からの出港では岸壁で
 盛大な和太鼓での安全祈願と送別をしてくれました。
☆クルーズ二は何回か行ってますが、今回の小笠原丸は24hr揺れ通しが
 心配だったのですが、「特1等」という広い客室をキープし3人で
 ゆったり過ごせて快適でした、娘のPCで映画を楽しんだり。
☆2年前に行ってるとはいえ娘の手配イントロに感謝です、妻(母)と
 相談しつつ、 宿からレンタカー世約など携帯メールで全て即座に
 手配してました、日頃の山行ガイド仕事の手際良いやりようが
 見えるようでした。
小笠原紀行の画像はこちらを参照願います。
   注)アイキャッチ画像(先頭の画像)は三浦半島で咲き初める河津桜です。
           以上

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