
「私の名前」から
2025年7月20日
関東同窓会 顧問 杉崎壽三男
(昭和29年建築科卒)
2024年10月 高校同窓会ちくま会会員「やなさん」こと柳澤今朝雄氏が標記題名でHPに寄稿されました。身近なことでもありたいへん興味深く読ませていただきました。
私の名前の由来は両親からも兄弟からも全く聞かされておらず、今となっては知る方法もありません。残念としか言いようがありません。想像するに杉崎壽三男はめでたきこと数多き男、妻 泰子は終戦直前の混乱期であり天下泰平を望んだものと想像しています。今日までの人生を振り返ると私はほどほどに、泰子は落ち着きはらった生活を送っているように思います。
どなたの家族も、我が子の生誕時には名前をつけることが親の任務であります。
希望的には、先ず健康で将来に向けて幸多い人生を生き抜いて欲しいとの願いを込めて男女に相応しいネーミングとなる訳であります。
人によっては神主・住職又は仲人・知人のアドバイスを頂戴するケースもあるやに聞いております。しかし最終的には辞典等をたよりに両親が考え抜いて世の人に披露される訳です。我が家は二女一男ですが私の意見に同調を得て登記され、子供達から何ら不平もなく宿命と諦め今日に至っております。長女は愛(あい)次女は悦(えつ)と称し、世間の人から広く愛され、広く悦ばれる意味を願いシンプルな一字で表現しました。
さて問題は3番目男子の誕生時のことです。姉二人と同じ産婦人科医院にお世話になり、ドクター曰く、腹の中を知り尽くしていると言わんばかりに三人目も「お嬢さん」ですねと幾度となく聞かされました。しかし私の心の隅には間違いであって欲しいと複雑な心境でもありました。しかも3番目の女子名は前者と違いいささか躊躇し、具体的な文字も浮かばないまま予定日となり家で待機しておりました。けたたましく電話音が鳴り響き、院長先生から「おぼっちゃま」が生まれ母子共たいへんお元気です、ご安心くださいとの一声でした。その場面の光景は人生の一片として、今でもはっきりと目に浮かびます。
思いもよらぬハプニングから心機一転さまざまな未来が頭をめぐり、先ず私の職業の後継者・大人になってからの酒飲みの友等々俄に構図は広がり、せめて名前には建築業を三代繋げたい意味を込め建築用語にこだわり引用することとなりました。(私の父・私・方斗・次女悦は一級建築士、その長男はS建設会社に入社)
学生時代、明治大学(故)堀口捨己教授の建築史授業があり、神社仏閣建物としてのシンボル、正門に厳かに建ち並ぶ柱頭部に飾られている木組み(斗組と肘木)が取り上げられました。型はシンプルなものから幾重にも重ねた重厚な工作があり、宮大工の技の結集とも言われております。先生からは熱のこもった講義と記憶しております。
斗組は、構造上の役目から骨組・屋根・雪の重量を支えている斗を大斗と称し、更にあらゆる荷重を一点に支え直接柱に伝える役目が方斗です。大変重要な役割で、人間で言えば社会全般を見渡す司令塔に当たります。奥深い人間像に期待を込めて杉崎方斗(まさと)と命名致しました。
方斗も小学・中学と進み正式に「まさと」と呼ばれたことはなく、唯一人中学校国語の先生が迷いなく呼んでくれたとよろこびを満面にして報告したことがあります。その都度私から名前負けしないよう日頃からの心遣いに怠るなと気合いを入れたものです。
最近の名前に「斗」の字をつけることが流行し、激増しているようです。当時私の友人である芸大の彫刻家H氏が長男に「北斗」さんとあまり聞きなれない名前をつけられ、大いなる応援をもらい勇気づけられました。地球上から宇宙にかけて全ての物体に名称が存在し、歴史・文化が築かれております。近年日本でも行政上、市町村合併に伴い改名され旧名が消えつつあり残念です。また人の名前も当て字の感が多く、理解に苦しむ事も度々あります。戸籍にはフリガナが必要と政府も動き出しました。
名は体を表すとも言われ、愛着も不可欠です。誰しもが一度聞いたら印象に残る名前にしてあげたいと思います。やなさんのヒントから家系の一部を残すことができました。令和7年7月27日は私の誕生日で、卒寿を迎えることになります。この日を記念して我家の伝承として、名前の由来を子供達に贈りたい。 了
なお、先頭の「アイキャッチ画像」は、咲き初める「ハマボウの花」です。