千曲高校の校章

千曲高校の校章は上田城の藩主松平氏の桐の紋をヒントに、 デザイン化したものを校章として制定しました。 校章制定委員会を設立し、全校生徒からデザインを募集しました。 しかし、校章の決定には至らず、商業科の西沢豊先生が デザインを考案することになりました。

松平氏は、宝永三年(一七○六年)前藩主仙石氏が出石に移封と なったあとをうけて、明治二年(一八六九年)廃藩置県となるまで、 一六三年間に亘って上田城主であり、真田、仙石両氏の城主としての 期間に比べてはるかに長いことや、上田城は、千曲川をへだてて指呼の間にあり、 生徒たちが朝な夕な眺めることのできる上田城の藩主松平氏の紋を校章にとり 入れることは、郷土愛を育成する教育的見地からも、大きな意味があると考え、 松平氏の桐の紋をヒントに校章のデザインに取り組みました。

西沢先生は校章について、次のように解説しています。 校章の下部にある三枚の葉は、工業、商業、家政の本校の三大コースを表し、 桐の花は本校女生徒の美しさと、左右から伸びる触覚は女性の優雅さと各科の 統合を象徴するものである。また、下地と調和のとれた対照をみせるため、 中央に「高」を浮き彫りにして、全体として落ちつきのある安定感が期待できるとしています。
この図案は、校章制定委員会で採択され、職員会でも賛同を得て正式に決定し、 昭和23年以来千曲高校の「家紋」として現在に至っています。 帽子の徽章と側章はもちろん、ボタンや襟章は、すべてこの図案が用いられていました。

また、それぞれの学科の科章は、上田千曲高校のuの字をヒントにしてデザインされました。