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「深山桜」落花の舞

 北信濃の山峡に深山桜が散っている。信濃路の遅い春を淡紅に彩る深山桜。
その花の開花は長く厳しい山国の冬を耐えてきた里人の希望であり、春の象徴でもあった。
未踏の山峡にあって、若葉の陰に慎ましく咲く深山桜は、楚々とした気品さえ漂わせている。
そして、他の木々の芽が萌えはじめる時、咲き満ちるおごりも示さず静かにその花弁を
散らせて行く。舞い行く花びらは、落花の気負いに遠い清々しささえ湛えている。
木と森と山並みとが、太古から繰り返してきたであろう生命の律動。その確かな調べに
おのが身を委ねた花びらは、実りへの確かな予兆を秘めて軽やかに散っていく。

 街中に咲き誇る染井吉野の落花の様は、ひたすらに散り急ぎ美意識を駆り立てる。
その気負いに満ちた落花の華麗さに比べ、深山桜の落花の清々しさは際立っている。
かつて、戦地に赴く若者達が悲壮な決意の中で、この深山桜の落花の様に出会っていたなら美化されて喧伝された「散華」と言う死へ駆り立てる思想を、あるいは拒みえたのではないか。
 そんな思いを抱かせるほど、生命の温もりに満ちた落花の舞がそこにある。
それはまた、季節の移ろいのもつ哀しみよりも、実りへ向かう豊かさを告げ、
静かに舞う深山桜の真の姿なのかも知れない。

 なお、染井吉野は江戸末期から明治にかけて、染井村(現在の駒込地区)の
植木職人が大島桜と、エドヒガン桜の人為的な交配を行い作ったと言われている。
この花は葉も開かぬ前に花だけが咲き満ちて散ってゆく。この散り急ぐ落花の美が
武士道の、また将兵の在り方のシンボルとして明治以来軍国日本の、とりわけ
若者たちの思想に注入されてきた。
 未だ人生の開花も知らぬ若い兵士が「散るのは覚悟・・・」と悲壮な決意の中で
歌い継いだ。その思いの中に咲いていた花は、染井吉野の不気味なまでの美しさ
ではなかっただろうか。

 深山桜の温もりを感じさせる落花の舞は、日々色づく若葉への惜別と、豊かな
実りへの予兆を秘めて「しず心」で散っていく。それは、落花の美へのいかなる
意味づけも空しいと諭しているかに見える。
 ウクライナで、またパレスチナでの惨劇に胸の痛む日々が続く。その戦場と
時空を越えて繋がる、戦時下の若者達の思いを反芻しつつ、深山桜の落下の舞を
見守った。
       2024年4月16日  HP運営委員 S.Motegi

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