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八代亜紀さん

三浦海岸河津桜祭りで咲く「河津桜」

2024年2月19日
S.Motegi
(HP運営委員)

年頭のホームページで、干支「甲辰」年は「変革(転機)」や「激動」が示すように、時代が動く年となると予測される旨を申し上げました。
その激動が、まさにその日の夕刻に起きるとは…、その現実に驚かされた次第です。 予測をなぞるように、当日の午後四時過ぎに最大震度7を観測した能登半島地震が発生しました。報道によりますと、震災で死亡が確認された人の数は2月16日の時点で241人となり、避難所に避難している人は、521か所で合わせて1万2931人となっているとのことです。
お亡くなりになられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、安否不明者のご家族、さらに被災され避難を余儀なくされている皆様に心からのお見舞いを申し上げます。現地で厳しい状況におかれている皆様の想いに寄り添うとともに、復旧・復興に向けて自身の出来る貢献を、ささやかなりとも続けて参りたいと思っています。

このような心の重い日々の中、「舟唄」「雨の慕情」「愛の終着駅」などの名曲で知られ「演歌の女王」とも言われた、歌手の八代亜紀さんが、昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたことを、所属事務所が公式サイトで発表されました。デビュー当時から密やかなフアンの一人でもありましたが、改めて長年のご活躍とボランティア等々へのご尽力に感謝を込めて、ご冥福をお祈り申し上げたいと思います。
昨年8月28日にブルーノート東京でバースデーライブを行い、いつもと変わらない歌声で観客を魅了し、つづく9月9日には埼玉県熊谷市での公演「日野皓正クインテット」にゲストとして登場していました。その3日後の9月12日に所属事務所を通じて膠原(こうげん)病を患っていることを公表し、年内の活動を休止する旨発表されていました。

八代さんは、ボランティアに尽力していたことでも知られています。73年に「なみだ恋」がヒットしたことで「ヒットのお礼に恩返しがしたい」とボランティア活動をスタートされました。同年に少年院への慰問を始め、81年から女子刑務所の慰問公演を開始し、ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領の両親が、八代さんと同じ熊本県出身という縁で、ペルーへの支援も行い、94年には学校(ヤシロアキ工業技術学校)を設立しました。
2011年の東日本大震災の後に被災地を訪れ、体育館で寒さに震える被災者の姿を見て数千枚の畳を届け、その心遣いに涙する被災者もいたと報道されていました。熊本地震の後も被災地でコンサートの開催をし続けまし。得意な絵については、個展の開催を呼び掛けられた時には、交通遺児の助けになるようにチャリティー絵画展にするなど、いつも助けを必要としている人々の心に寄り添っていた印象があります。

私の現役時代、職場の先輩、同僚達は指揮者カラヤンが全盛の時代に青春時代をおくったこともあり、クラシックフアンが多く、演歌へのアレルギーがある方も多くいました。そんな中で八代さんのフアンを表明するのは、結構勇気のいる事でした。しかし、彼女の唄う心に沁みるような演歌には「日本で一番過酷」と言われた、コンピュータ・ソフトウェア開発業務の厳しさをひと時忘れさせ、また、幾たびか癒される思いを味わいました。特に「愛を信じたい」の歌詞と、その歌唱に心を揺り動かされたことを、今でも鮮明に思い出します。
演歌に相当する音楽は、南米やスペイン、イタリアなど多くの国々にも存在します。南米のアルゼンチンやウルグアイのタンゴ、スペインのフラメンコ、ポルトガルのファド、イタリアのカンツォーネという音楽が有名です。いずれも大地にしっかりと根を下ろし、生活者としての苦しみや喜び、さらには人々の愛や郷愁などの感情を抒情豊かに表現する歌でもあります。

このように、日本の演歌に相当する音楽は、それぞれの国や地域の歴史や文化を反映した音楽であり、演歌と同様に、それぞれの国の人々の心に響く音楽と考えます。さらに、突き詰めて言うと人々の苦しみや、哀しみ、叫びに寄り添い、その人々の表現できない深い想いを汲み取り歌ったのが、演歌の本質ではないかと勝手に解釈しております。その意味では短歌にも通じるものもあると考えています。八代さんのコンサートには細君共々幾たびか伺いましたが、その席上でよく言われる「代弁者」と言う表現が、演歌そのものの本質であり、神髄ではないかと感じたことがあります。

こんなことも含め、長い事八代さんのフアンでありましたが、細君も大病を患い大きな手術後のリハビリの中で、八代演歌に慰められ、勇気づけられた一人でもありました。 また、あまり知られていない八代さんのボランティアに保護猫活動があります。
たまたま中学生の孫の一人のイラストが八代さんの目に留まり、昨年3月八代さんとコラボで絵本「ちーたんとあきちゃん」を出版すると言う幸運にも恵まれました。この出版はチャリティー事業として行われ、本の収益金は保護猫活動に役立てられていると伺っています。(出版時、孫は未だ中学生であり、マスコミ等への開示は避けたいとの配慮もあり、イラスト担当は「ひまり 14才」との表示に留めました)

偉大な歌手でもあった八代さんですが、誰にでもフレンドリーに接し、子供達からも親しまれ、愛され「身近な友だち」を貫き通した歌手は、中々存在しないとの感慨があります。改めて、一フアンとして心からのご冥福をお祈りしたいと思います。
そんな想いを込めて、三首の歌を八代さんの御霊前に捧げたいと思います。

☆ 八代亜紀 その生きざまを 歌心 示し貫き黄泉へ旅立つ
☆ 舟唄になぜか涙のこぼれいる 燗酒すでに冷えるも知らず
☆ 久々に燗酒ひとり酌みいるも 舟歌寂し しみじみとして

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