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思い出の部活動


昭和29年建築科卒業 杉崎 壽三男
部活動の写真 こちらを参照願います。

昭和27年4月に念願叶い千曲高校建築科に入学しました。
私が卒業した菅平小・中学校は、真田分校としての山村で生徒数も各年度ごと15~20名前後のクラス編成でした。したがって部活動も限定され、団体競技は寄せ集めの野球チーム・バレーチームでした。しかし冬のシーズンが長いため個人戦のスキー競技・外は雪野原となり室内の卓球に絞られてしまいました。

高校生となり環境も一変し、文化部・運動部の活動を目の当たりにして心が動きました。入部に当ってはいくつかの候補の中から卓球部に籍を置き、建築科からも数人が加わり夢をふくらませた新入生を中心に合同練習がスタートを切りました。先輩の指導のもと基本練習と称して、ラケットをにぎっての素振りから始まり、明けても暮れても繰り返しの日々が続きました。さすが幾日も「から振り」を続けているうちにあきらめの境地となり遂に脱会を決意し、機械科の先輩を通じて山岳班に入りました。

2年生の夏休みに北アルプスの燕岳(標高2,763m 登山は悪天候により途中下山)、3年生の夏休みには班長として槍ヶ岳(標高3,180m)となりました。引率の先生・メンバー10名ほどのパーティーでした。詳細については記憶もとぼしく思い出せませんが、唯一今でも忘れられないことは頂上付近の槍ヶ岳山荘を目前にして猛烈な夕立に遭いこの世ともお別れかと思われる光景に出くわし、岩陰に緊急退避をした時でした。

通常平地では上空で光る稲妻・雷鳴が此の場所では地響となって下界から伝わって来ました。やがて天候はおさまり山荘に宿泊し、翌日は頂上に立ち目的を果たし下山となりました。一行の命を預かる身として、全員が無事に上高地の河原で飯盒めしを食した時の気分は忘れられない少年期の思い出になりました。

今年の6月に暇をつくり某旅行会社の企画で「黒部峡谷トロッコ電車・立山黒部アルペンルート・上高地」の旅を団体旅行に加わり夫婦で参加して参りました。当時の新島々駅からバスにて経由して上高地より眺める北アルプスの山々との68年振りの再会に心うたれ、信州人としての誇りを感じました。
山岳地に生を受け、少年期の登山体験、社会人としてのスキー活動が一本の糸で繋がっている縁に感謝をしている今日此の頃です。               ― 終り ―

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