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お盆を迎えたある夜

お盆を迎えたある夜

栁澤今朝雄(S.39年機械卒)

お盆を迎えるある夜に友人から電話がありました。
彼は白血病を患い入院生活3か月の後に退院し、現在は抗がん剤を打ちながら生活をしています。退院時に担当医から余命は3年という説明があったといいます。既に1年が経過しており、余命2年という事になります。
入院当時の彼は、ほとんど毎晩私の所に電話をかけてきました。兎に角誰かと話をしたい、今の自分を全て受けとめてくれる人と話をしたいという事だったそうです。
時には、高熱にうなされて見境もなく知人に電話をしまくったともいいます。その事を、「夜中に非常識だ!」とたしなめたという人もいたとの事でした。
私は、いつでも彼からの電話を受け入れました。それは、もし自分が彼だったらと常に置き換えて考えていたからです。
今回の電話は飲み会についての連絡だったのですが、その時に「自分の余命」についても話題となりました。電話が終わり布団に入ってから、彼がその事にかなりこだわって話していた事が頭に残り、中々眠れなかった夜でした。
その時ふと思い出したのが、上田に住んでいた義理の父親の葬儀の導師の通夜の講話でした。
旅立ったのは2008年の8月の88歳でした。偶然にも8が4つ並ぶ日だったので強い記憶となっています。
その導師の講話というのは要約すると次の三つの心に沁み入る話でした。

講話1
当時小学1年生の私の孫が棺に向かって「おじいちゃん、ここにジュースを置いとくからね」とペットポトルを祭壇に置いて語りかけていた振舞いを、僧侶が見聞きしていたのです。参列者に「亡くなった人にはいつもあの子の様に声をかけてください。向こうにはその声が届いているんです」と話された。

講話2
『本当の寿命の長さ』というのは、単なる時間の長さではありません。生きていた時間×思い出の数と考える事も出来ます。楽しい思い出を沢山作って生活してください。旅立った人もそれを望んでいます。

講話3
『本当の死』というのは、生存者に完全に忘れ去られた時の事を言うのです。知人でなく、生前に自分の事を思いやってくれる友人を沢山持ってください。

私は今年で77歳となりました。両親が他界した近い年齢になります。「余命はあと何年かな?」等と考える年代になっているのだと改めて思った夜でもありました。
そして、これから本当の意味の寿命の長さとなる様に沢山の友人と交流し、色々な思い出をより沢山作っていこうと思いながら眠りに入った夜でした。

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