昭和61年
機械科卒業
長野オートメーション株式会社 取締役/設計技術部 メカ設計1G グループマネージャー:平井 健一
- 現在のご職業や、お仕事の内容をおしえてください。
- 長野オートメーション株式会社で取締役と設計技術部のメカ設計1グループ:グループマネージャーを務めております。内容としては自動機の設計ですね。組図と部品図を描いて、それを加工に渡すという仕事です。メカ設計は2グループ制で40名の部署になります。電気設計は3グループあり、画像処理のチーム、ロボットのチーム、PLCのチームという専門チームに分かれています。設計技術部全体としては約80名以上おりますね。
26歳の時に以前勤めていた会社が閉鎖になるということで転職したのですが、入社して今年で26,7年になります。
自動機を作るとは、何もないところから作っていく、つまりまだ世の中にない物を生み出していくわけですから、失敗して当たり前なんです。もちろん、うまくいかなかったら困りますが(笑)。
しかし、そこは自分の中で「どう作っていったらいいんだろう」とか、自分のやりたいものをよく考えて、作り上げていきます。それを考えるのが面白いです。先輩たちに言われてきたのは「メカの設計は面白いよ。」ということ。電気設計はメカの設計者たちが作ったものをどう動かすか考えるのが仕事なんですが、メカの設計は自分のアイデアで、どういうものを作るかゼロから考えていきます。だから、「こういう業種も面白いよ」と思います。 - 千曲高校・機械科に進学された一番の理由は何でしょうか?
- 私の父親が電気屋、祖父が時計の技師で、技術職の環境で育ったため、小さい頃から何かを作ったり、分解することが好きだったのが理由です。ラジオを分解したら組み立てられなくなったことも。親にめちゃくちゃ怒られたこともよく覚えています(笑)。他の高校は選択肢になかったです。
でも、私が一番最初にやりたかった仕事は船乗りなんです。世界中の色んな場所へ行きたかった。船乗りと言ってもやりたいのは船を直したり、機関士などのメンテナンスの方でしたが。今考えたらそんな甘いもんじゃなかったと思います。「いろんなところに行ける」と思っていたんですが、よく考えたらほとんど海の上ですからね(笑)。子供の考え方だったと思います。今は仕事の出張でいろんなところへ行ってます。 - 在学中はどんな班活に在籍されていましたか?
- 水泳をやってました。電子機械科棟の向かいの、今と同じところにあるプールを使っていました。メンバーは20人ぐらいいましたが、上田高校の水泳部と仲が良かったので、勉強を教えてもらったりもしてました。
- 在学中の思い出として、忘れられないことはありますか?
- 特に覚えてるのは映画を作った時のこと。きっかけは全然憶えていませんが、うちのクラスにそういうのがすごく上手い人がいて、8mmビデオを買ってきて、それを使って自主製作映画を作ったんです。クラスの15人ぐらいだったかな?私は作る方ではなくて、なぜかプロデューサーの担当でした。結局「お金集めてきて」と言われて、商店とかに行き、「こういうことやるのでポスター貼らせて下さい」「お金出してもらえませんか?」とかやっていました。今になってみると、よくやったなと思います(笑)。どういう映画を撮ったかは覚えていないのですが、あの頃は『ターミネーター』などが流行っていて、電気科の人たちに頼んで、グラフィックのはしりと言いますか、あとはコマ送りなどを撮っていました(笑)。それだけは先生に褒められ、文化祭で披露した記憶があります。勉強は全然ひとつも憶えていませんが、それだけは「やり切った」という記憶があります。
自主制作映画を作るとなるとお金もかかります。カメラなどの機材は親から借りましたが、テープなどは商店に寄付してもらったお金で賄ってました。そのころにそんな寄付してもらうなんてやった人はいないです。最初は3,4件から始めて、徐々にそれ以外の商店の人と仲良くなって寄付してもらったり、中学の友達で、酒屋さんやカメラ屋さん、おもちゃ屋さんの息子がいたので、その伝手で寄付をお願いしに行ったりもしました。ホントにそれをやってよかったのかは疑問ですが…(笑) きっと先生たちもどこかで目にしてたと思います(笑)。
- 千曲高校で学んだことで、今のご職業で活かされていると思うことはございますか?
- 千曲高校で教わってよかったことは、図面を描いてたということ。図面を描くことは好きでしたので、三角法などの本当に基礎の基礎は学べたと思います。旋盤もフライスもみんな操作させてもらえましたし、NCもあの頃はベーシックとかフォートランだったけどやらせてもらえました。
授業で図面を描いていた時、『平井の図面はキレイなんだけど、字で品格おとしてるなぁ…。』と先生に言われた事があります。字が汚くて図面の評価が落ちちゃうわけです(笑)。今はないかもしれませんが、実習でカラス口を使って幾何学模様をひたすら描いたりもしました(笑)。勉強面では、公式を暗記したことしか憶えていないです(笑)。私たちの時は計算尺から関数電卓になった頃で、公式を覚えていなかったら何もできませんでした。今はネットで検索すればいいし、当て嵌めればいいだけですから、時代が全然違います。今でも忘れない公式もありますが、でもそれは今でも仕事で使っているからだと思います。
この様に、千曲高校で基礎を学びましたが、実際に「機械設計」とは何か、ということを教わったのは弊社会長からです。前社では生産技術の部署だったので、今の仕事は逆だったんです。装置メーカーや商社さんに「こういう仕様の機械が欲しい」と手配する方で、あとは機械が壊れた時に飛んで行って直し、打合せする、という仕事でした。その後、当社へ転職したのですが、会長に「おまえ図面描けるか?」、「描けます!」って描いたら、「お前の描いてるのは漫画だ!なんだこんなデタラメな図面は?!オレが鍛えてやる!」ってと言われたのをよく覚えています(笑)。 - これからの社会で求められるのはどのような人材ですか?
- この業種に関して言えば、自分の考えをしっかり持ってることと、人と同じことをするのではなくて、ちょっと違った考え方持ってる人が求められていると思います。例えば私の部署でしたら、『A地点にあるものをB地点移動させる装置を作ってください』と言われた場合、移動させる方法としてエアーを使ったシリンダーでもいいし、電気を使ったモーターでもいい。その中でもどういうモーターを使うのか、カムという機構を使うのか、リンクを使うのかなど沢山の方法があります。だから人と同じことをするのではなく、独創性を持って考えられる人が今の会社としては欲しいです。
もう一点求められる点は、素直な人であるということ。『聞く力』と弊社の会長もよく言いますが、『聞く力』を持つには、まず素直でないと入ってきません。私が思う素直な人とは、よく話を聞くこと、そして謝れる人であると考えています。『自分はこうだ』と思うこともすごく大事だと思いますし、自分もそうです。でも、家庭でも仕事でもダメなものはダメですよね。そこは「すみません」と言える人が素直だと思います。社会で技術屋として働く中で、『人に訊く』ことができる人が一番強いと感じています。弊社の行動指針8箇条に『知っていることは全て教え、知らないことはいつでも訊く態度を一生涯続ける』というものがあります。先輩・部下、パソコン・スマホでも、わかる人に聞くのが一番早いと思います。私自身は、わからない事があって人に聞いてもはずかしいとは感じません。 - ご自身が影響を受けた人・尊敬される方はおられますか?
- 影響を受けた人は弊社の山浦会長、設計者としてすごいなと思ったのは宮崎顧問ですね。図面を描いてる姿がカッコよくて。本当に優秀な方々で私自身とても鍛えられました。普通では経験させてもらえないことを多く経験させてもらえたからこそ尊敬できるんだと思います。
弊社にいただく案件は、他社では作るのが難しい機械ばかりなんです。その中でさらに「これは難癖あるな」という機械が私のチームのところに来ます。私が旗振り役で、みんなで頑張って形にするんですが、若いころは全部自分でやらなくては気が済みませんでした。でも経験を重ねるうちに「それじゃダメだ」と気が付きました。今まで会長や先輩方から「あいつだったらやってくれるな」と期待していただいていたんだと思いますし、今自分が同じ立場になって、部下に対して同じ期待をして仕事を任せるようになりました。 - 大切にされているポリシー・座右の銘はございますか?
- 弊社の『社員の行動指針 8箇条』ですね。私は特に2番が好きなんです。2番の『知っていることはすべて教え、知らないことはいつでも訊く態度を一生涯続ける。』というのは先程お話した事でもありますし、「これは本当だな」と思っています。
- 今後達成したい目標や夢はございますか?
- 70歳までは健康で仕事を続けていたいです。やれるうちは頑張ってやりたいと思っています。
会社としては、もうちょっと残業を少なくして、それでも回せるように若い社員のためにもその様なシステムの会社にしたいと思います。 - 在校生にお声がけいただくとしたら、どのような言葉をかけますか?
- これは難しいです(笑)。
自分が信じたものに向かって行くのは良いですが、一歩止まって周りを見て、そこからもう一回考えた方がいいかなと思います。自分の子供たちを見てても思うんですが、今の若い人は何かと「自分が〇〇〇だから」と言いますよね。でも、私が社会人になってよく思ったのが、『自分一人じゃなにもできないからな』ということ。だから「自分が、自分が」と言う前に「まず訊こうよ」と。若いとか年齢を重ねてきたとか関係なく、周りが見れてないのは本当に損だと思います。人に迷惑かけないでやるのはいいですが、もし1人ではできないのであれば、周りをよく見てチームワークを乱さないで進めることが大事だと思います。突き抜けてしまえばいいのかもしれませんが、そうなるまでには実力つけなければいけません。学校での勉強はあくまで『基礎の基礎』。それをベースに社会で実力をつけていってもらいたい。
これは設計を含めた弊社の仕事全般に言えることですが、ゼロから作り上げていくのには、すごくチカラがいります。でも同時に、私たちがやっている二次産業は国の根幹だと思います。その中でも私たちは特に特殊な物を作っていると自負しているので、こういう分野にトライして長野オートメーションに入ってきてくれたら、「教えてあげたい!」と思います。 - 令和3年1月29日公開