Interview

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昭和54年
機械科卒業

株式会社ティーアイジー 代表取締役:塚田 泰裕

現在のご職業や、お仕事の内容をおしえてください。
株式会社ティーアイジーの代表取締役です。省力化機械の設計・製作と、『真田雁丸屋』歴史グッズの開発・販売を行っております。前身である信越システムに入社し、私が28歳の時に前社長と3人で株式会社ティーアイジーを設立、業務を引き継ぎました。現在の社屋に移転するときに、代表取締役として私が会社を引き継ぐことになりました。
千曲高校・機械科に進学された一番の理由は何でしょうか?
これが単純な理由で、実は父親が大工だったんです。なので、建築科に行こうかなと思ったんだけど、私は高所恐怖症だったんで、屋根に上ったり、高いところがイヤだったんです(笑)。でも、手に職付けたかったし、普通科に行くよりも技術系に行った方が面白いかなと思って機械科に行きました。
父親はひとり親方の大工で、基礎工事から建屋まで請けてやってましたね。手伝いにもよく行きましたから、基礎工事なら今でもできるんじゃないかな。大学時代のアルバイトも建築屋さんでしたよ。大学も機械工学なんだけど、同じアパートに住んでた建築の先輩には卒研のテーマを手伝わされました(笑)。
在学中はどんな班活に在籍されていましたか?
剣道班でしたね。今の格技室はまだなくて、旧校舎側にあった古い平屋の長屋みたいな建屋が部室でしたね。今はもうなくなってますよね。ちょうど今の新校舎へ移った頃でしたから、まだ旧校舎の建屋が少し残ってたんですよね。
在学中の思い出として、忘れられないことはありますか?
良いことは何も憶えてないかもしれないけど、悪いことならいっぱい憶えてます。書けないことだったらいっぱいありますよ(笑)。
もう時効だから書いてもいいと思うけど、オフロードバイクで、山の中を駆けずり回ってました。毎日学校が終わると仲間とバイクの後ろにガソリンタンクを積んで、地蔵峠の上あたりの山の中を走ってました。急な崖をバイクで登って、「ダメだーーー!!」って(笑)。
3年生の夏休みには仲間3人と北海道一周バイクで周りました。上田からずーーっとバイクで行って、青函トンネルなかったから青森からフェリーで渡って、帰りはさすがに疲れたんで、小樽からフェリーで新潟、そこからまたバイクで帰ってきましたね。どのくらい行ってたかな?・・・2週間ぐらいだったかな。それも50・90・120ccの3台で(笑) ミニトレっていう50ccのバイクが昔あって、それにエンジン焼けないように改造して行ったのを憶えてます。その50ccが途中で動かなくなっちゃって、牧場でロープ借りて、2日ぐらいけん引して走ったりしましたよ(笑) 結局単純な原因だったんですけど、バイク屋さん3軒周ってやっと直りましたよ。あとで先生たちが噂を聞きつけたらしいですよ。怒られはしなかったけど、「どこか行ったみたいだなー」って(笑)
千曲高校で学んだことで、今のご職業に活かされていると思うことはございますか?
私はずっと機械に携わっているので、単純な実習や簡単なことでもすごく役立ってますよ。例えば、機械を設計する上で溶接なんてしませんが、機械科では溶接やってみるじゃないですか。部品同士を溶接してみるとか、あんなことだって『溶接ってこういうものだ』っていうのが頭に入っていれば自動化にもできるんですよね。だから実習なんかはとても役に立ってますよ。授業だって図面の書き方は基本的に教えてくれるわけだから、図面は書けるようになりますよね。ドラフターを使った手書きからCADになっても、CADを覚えればいいだけですからね。そういう意味では、私にとってこの商売をやるには、千曲高校っていうのは非常にベースでわかりやすかったですね。本当に基礎の基礎だけど、あとで考えれば「あんなことやったよな」っていう経験は、仕事をしていく中で「こういうものだよな」という理解に結びついていきます。
これからの社会で求められるのはどのような人材ですか?
今までの技術は技術として基本的なものは当然あるんですけど、やはりそれにとらわれない人が出てくることでしょうね。『今までがコレだからこうしなきゃいけない』という考えは、頭のどこかには持っておかなければいけない。当然、昔のものが全て悪いわけじゃないから。ただ、その考えが強すぎると、新しい発想が生まれない。固定概念を捨てること。そういう人は伸びますよね。すべてが新しいものを考えろってことじゃないんですけど、ただ自分のやり方が全て良いと思わない方がいい。『以前こうやっていたから、今度もこれでいいんだ』という考えで設計に行った人は失敗しますね。
よく言うんですが、自分が描いている設計は、他の人が設計したらどう描くのかな、って考えるんです。建築もそうですが、10人が家を設計したら、10人違う家を描くじゃないですか。どれが良いかとなった時に、結果的にコストもあるし、デザイン性もあるし、機能性もあるわけですよね。仕事として描くということは、その中で選ばれる設計になりたいわけです。ということは、自分の描いている設計が絶対良いわけではないんですよ。時代は常に動いてるのですから、もっと良いアイデアはどんどん生み出されてあるわけです。自分の古い考えに固執するのではなく、そういった新しいアイデアも取り入れていかれると素晴らしい人になるんじゃないかなと思います。
ご自身が影響を受けた人・尊敬される方はおられますか?
特定の人で、この人に強く影響されたってことはないんですけど、ある意味広く言ったら、今までお会いした全員の人ですよね。当然なのですが、私とは変わっていて、皆さんお一人お一人違うじゃないですか。批判であれ、肯定であれ、いろんな意見があって、いろんなお話をして、私はそこから学んできたわけですよね。だから、ある意味会う人会う人、皆さんに影響を受けていると思っているんですけどね。中には全然意見が合わない人もいたりしますが、それも経験ですし、その人から得ることも多いです。じゃあ、こういう人と話すときはどうしたらいんだろう、とか。話の内容云々ではない部分でも経験になっていますね。
逆に特定の人ということにはこだわらないようにしています。あえてそうしてるんだと思います。皆さんおもしろいんでね!
大切にされているポリシー・座右の銘はありますか?
あまりこれもこだわっていないんだけど、会社で私がよく言うことがあります。コミュニケーションのひとつなんですが、『人と意見が違うときに文句だけを言うな』ということです。人と話していて意見が違うとき、文句を言うんだったら自分の意見を言いなさい、ということが私が常に言っていることです。なにか気に入らないことがあるなら、それに対して自分の代案を出すべきです。代案がない話なんか、いくら話していても無駄です。ダメならダメで、自分の意見をきちんとぶつけないと、自分の考えを持って行かないと。「これはダメでしょ」、「じゃあ、どうするの?」って言った時に、代案を示すことができなければ、ただ文句を言うだけで、「なんなの?」ってことになってしまいます。自分の意見をしっかり言えるってことは、自分の考えをきちんと持って言える人なんです。人に文句を言うはものすごく簡単で、あれほど嫌なものはないです。
先程の話からずっと一連して繋がっているのですが、会社の仕事でもそうです。例えば、この設計ちょっと無理だねってなった場合、「オレだったらこうする」「こっちの方がいいんじゃない?」「この方法の方がいいよ」っていう話を必ずする。会社でも社員同士何か言うんだったら、自分の意見を持って話をしないとつまらない会議ばかり増えてしまいますね。
今後達成したい目標や夢はございますか?
若い人にちゃんと譲っていける会社にしたいというのは、どこの社長も考えていると思います。自分のやってきたことを、また繋いでもらって、新しいアイデアでやってもらいたいという会社としての夢はありますよね。継続させるにはある程度キツイ状態からの継続って厳しいので、私たちがいるときに今の仕事の形態よりもうちょっと良くなるようにと考えています。そのために今は新商品の開発などを盛んにしてますね。私にもそんなに時間がもうあるわけじゃないんだから。経営者なんだから何歳までやったっていいんだろうけど、やっぱりね、年取ると自分の考えなんて良いと思わなくちゃいい。若い人がバンバン考え出したほうがいいんで。私が言う意見が通るようじゃおかしいなと思ってるんです。正直言って。だから今からでも任せることをきちんと任せていかないと、いきなり変わっても無理だと思うんだよね。それにはいろんな条件があって、会社ももう少し安定して稼げるようなものを作りたいし、それが最後に来て集大成のように進めているものがあります。
個人的な夢だったら、上田市に工業系テーマパークをどうしても作りたいという夢はありますけどね。これは大きな夢過ぎて夢と言っていいかわからないですけど、絶対実現できないことはないし、決して悪い案ではないと思いますね。
在校生にお声がけいただくとしたら、どのような言葉をかけますか?
まぁ、若い時はいろいろ経験しろってことですよ。何ってことはない、何でも。いろいろ経験できることはすべてしておいた方がいい。まぁ、悪いことや変なことはあまり経験しない方が良いかもしれないけど、でもそういうことも多少知ってないと良いことも悪いこともわからないだろうし(笑)。
私は旅行が好きだったんで、高校の時バイクで北海道行ったり、大学の時は日本2週ぐらいしてる。最後はアメリカとか1人で行っちゃって、ずっとレンタカー借りて、バイクでアメリカ中走り回ったり、ずーっと旅行ばっかりしてました。バイトやって旅行、バイトやって旅行。大学は2カ月休みなんで、最初の1カ月はめいっぱい2つ・3つ掛け持ちでバイトやるんですよ。で、そのお金を持って1ヶ月旅行に行くんです。それを使い切るまで旅行行ってるんですね。その経験って、すっごく活きてるね。英語だってほとんど喋れなくて、単語しかわからないカタコトだったけど、全然気にしなかったからね。どうにかなります(笑)。それも経験ですよね。そうするといろんな人とコミニュケーションとらなきゃいけないし、だからいろんな意味で経験だと思います。
高校でも大学でもどこでもいいんだけど、いろんな経験しておけば、人生なんてどこでどんな商売やるか全くわからないですからね。千曲高校という学校は、あくまでもただ教育の過程で専門分野を少し多めに教わってきただけの話なんで、そのままそれを活かすなんてことは常に思ってなくてもいいです。もちろん思って悪いわけじゃないですけどね。もう心にある人はそれに向かっていけば一番いいし、ない人はないからと言ってそんなこと気にする必要ないですよ。それぐらい自分自身の扉を開いてないとね。要は商売する上での流れなんて、みんな同じですからね。
令和2年9月28日公開

株式会社ティーアイジー (上田市古里)

HP http://www.tig21.co.jp/