Interview

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昭和37年
電気科卒業

株式会社アルカディア 取締役会長:松井 利光

現在のご職業や、お仕事の内容をおしえてください。
株式会社アルカディアで取締役会長をしております。昨年から会社経営の前線からは外れていますが、会社の業務内容は精密板金加工及び電気制御の設計・製造を主に世の中に役に立つ物づくりをしてまいりました。昭和58年に創業し、今年37年目を迎えております。
私自身、千曲高校を卒業した後は東京特殊電線㈱に就職したのですが、当時は上田で一番良い会社ということで選んだんですね。でも他の同級生は、県外の一流会社へ就職していったのを憶えています。千曲高校生は引っ張りだこでしたからね。そんな同級生たちが、私に『社長』というあだ名をつけたんです。「お前はこの土地で社長になれ」って、誰かが言ったんですね。だから「オレはいつか社長にならなきゃいけないな」っていう想いがどこか胸の片隅にあって、いつか社長になる機会をうかがっていました。
千曲高校・電気科に進学された一番の理由は何でしょうか?
中学校の担任が強烈に進めてくれました。あの頃は日本の高度成長期の始まりで、昭和34年頃上田千曲高校に電気科が新設されていました。当時は洗濯機や冷蔵庫なんかもない時代、電灯とラジオしかなかったんですから、先見の明があったんでしょう。「電気科は時代の花形だ、お前はもう少しで電気科に入れるから頑張れ」と激励され、希望に胸膨らませて進学しました。とてもいい先生、最高の恩師でしたね。
実は電気科の入試を受けた後、父親が事故に遭い、体が不自由になってしまうということがありました。稼ぎ頭である父が働けなくなってしまい、私は高校進学をあきらめ、農業をし、母親を助けようと考えたのですが、周囲の方々に背中を押していただき、助けていただき、進学することができました。お小遣いなんてもちろんありませんでしたし、高校から帰ると家の農業を手伝いました。
千曲高校・電気科を卒業したことで今があるのですから、両親をはじめ、その時背中を押してくれた方々にとても感謝しています。
在学中はどんな班活に在籍されていましたか?
1年~3年自動車班で好きな自動車のエンジンを分解したり、組み立てたりグランドの片隅にあったコースで運転練習をしました。面白かった!楽しかった!でっかいトラックのフレームにエンジンついたのが一台あって、ダットサンがあって、それとマツダの棒ハンドルの3輪車が学校の自動車班の建物にあったんです。それをバラしたりしたんですが、あの頃は本に書いてある通りの構造だったんですよ。シンプルだったから、イジってもちゃんと再生できたんです。今のギッシリ詰まった車なら無理ですよね(笑)。片隅にあった運転コースはS字・クランク、それから直線コースがあって、そこを自動車班は乗ることができました。自動車班以外は乗れません(笑)。自動車班は30人ぐらいいましたかね。ほとんどが機械科の人たちで、電気科では私が初めてでしたね。当時は自動車なんてそこら辺に走ってない時代、誰も乗れなかった時代でしたから、自動車が好きだった人なんてわずかだったかもしれないです。やっぱり機械に携わっている人、好奇心旺盛な人には人気だったでしょうね。私は本当に好きでしたね。

2年で柔道班で1年間鍛えられました。辛かった!自動車班と掛け持ちだったんですが、「ちょっと体鍛えたい」と思って入ったんですが、容赦なく投げられましたもんね(笑)。腹筋やらされるわ、うさぎ跳びやらされるわ・・・辛くて辞めました(笑)。
在学中の思い出として、忘れられないことはありますか?
飲み屋で酒を飲んだことがバレて、えらい目にあったんですよね(笑)。
レクレーションの遠足が当日雨天(?)で急遽中止になったんですよね。弁当作ってもらって、学校に集まったら中止になって、「どうする?」って話になって。公園なんかで遊んでから、弁当食べるために同級生10人ぐらいで飲み屋の2階に上がり込んで、お酒飲んで楽しく過ごしてたんですよ。みんなでお小遣い出し合って、日本酒とビールでね。今の安藤病院の通りだったような気がするなぁ…。
1週間後ぐらいかな、後日先生が私たちの名前を読み上げて「立てっ!」って言うわけですよ。謹慎処分でしたね(笑)。誰かが喋っちゃったんでしょうね。謹慎中はずっと家にいたんですが、母親が聞くんです。「お前、なんで学校行かないの?」‥‥。当時は学校から何も連絡がなかったんでしょうね。私は何も答えませんでした(笑)。
授業や実習で言えば、計算尺なんていうのも懐かしいですね。工業科はみんな持たされて、検定もあったんですよ。カラス口なんていうのもありましたね(笑)。くちばしみたいになってて、その隙間にインクを充填して線を描くんですが、インクの量を間違えると線が途中で切れちゃったり、多すぎるとインクが漏れちゃったり(笑)。普通の図面を描くときは鉛筆だったんですが、正式な図面はカラス口でしたね。カラス口を使うときは技術屋みたいで嬉しかったですね。英式とドイツ式があって、デザインが違うんですよね。英式は柄の部分がゴツゴツしてて格調高くできてるんです。ドイツ式っていうのはスマートにできてるんですよね。千曲高校はドイツ式でしたね。つい最近までどこかにあったな…。製図台っていうのがあって、T定規と三角定規と分度器、あとコンパスで図面描くんですが、ドラフターが出たときは「こんな具合いいものがあるのかよ」って思ったよ。
千曲高校で学んだことで、今のご職業に活かされていると思うことはございますか?
まず千曲高校・電気科を卒業したことで就職に困ったことは全くありませんでした。世間では引っ張りだこでしたからね。職場はいつも電気畑を活かせる仕事に従事しましたし、40歳で自営した時も電気関係からのスタートでした。千曲高校で学んだことは、余すことなく活かせたと言ってもいいでしょう。電気科を卒業できたことで私の人生は開けましたね。
これからの社会で求められるのはどんな人材ですか?
数え上げれば限りがありませんが、強いて言えることは『明るく素直で可能思考な人・強欲で謙虚な人』だと思います。
『可能思考』というのは、挑戦的・楽観的に物事を考えて、何でもできるというプラス思考の考え方です。とにかく悲観的な人間は社会で使い物になりません。
それから『強欲』ですが、「志高く」という言葉もありますが、そんなの面白くないじゃないですか?「志高く」なんて当たり前なんです。やっぱり『欲』がなければ挑戦もしないし、そのエネルギーも出てこないんですよ。尚且つ『謙虚』ということは、出すぎず内に秘めた闘志を持てる人。こういう人間を私は求めますね。
謙虚さがない人間は欲が出すぎて悪いことをするんですよ。悪い方に目を向けたら、その人間はもう終わりです。
ご自身が影響を受けた人・尊敬される方はおられますか?
京セラ株式会社名誉会長の稲盛和夫氏です。稲盛さんを塾長とする「盛和塾」で8年間学びました。稲盛人生哲学・経営哲学をベースに36年間の経営を維持してまいりました。盛和塾の代表世話人をやらせていただいて、代表世話人会という集まりでは実際に稲盛氏にもお会いしました。生の声を聞いて、自分もそれに肖ってやっている。それによって自信を持っていろいろやってこれたことはとても大きいことですよね。世の中の第一人者というか、有名人になる人は、やはり有名人たる『人間』ですよ。理由があってそうなってるんですよね。なので、お話ししたり、相談に乗ってもらったりしたことは、ものすごく自分の『宝』ですね。
大切にされているポリシー・座右の銘はありますか?
『利他の心』と『生涯青春』ですね。
『利他の心』は稲盛氏の言葉ですよね。「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」、「人によかれ」という心です。稲盛氏の教えとは、心を高める・経営を伸ばす、ということですからね。わかりやすく言えば、「経営者というものは心を磨け、魂を磨け」ということですよ。
それから『生涯青春』という言葉通り、年寄りになっちゃいけないと思いますよ。ゴルフは生涯続けていきますよ(笑)。
今後達成したい目標や夢はございますか?
微力ながら少しでも世の中のお役に立つ生き方をしたい。世間に対して、貧しい人に援助したり、教育資金のお手伝いができるようなことを考えています。それまでは死ねないですよ(笑)。
在校生にお声がけいただくとしたら、どのような言葉をかけますか?
楽しい人生を創りだすためには、一度は死に物狂いで自分を鍛えることだな。
そういう経験のない人間は、事なかれ主義で終わっちゃうわけですよ。私もね、なんで会社を始めたかって言えば、まぁ『社長』っていうあだ名もあったけれども、社長にもなりたかったんですよ。でも、実は夢をかなえられなくて、30歳の時に病気して、2年間どん底生活を送ったわけです。生活保護を受けるような。正直、自殺をを考えたこともあったんですが、病気でそれもできなかった。「人間って自分の命を自分で断つことできないんだな」ってその時悟った気がしているんですね。
「自分は一度死んでるから、どうせどん底落ちたってあの時と同じぐらいだろう」と、だからもう一回挑戦したい!やってみたら、見事に失敗したんです。でも、そこから這い上がれたのは、その時の経験があったからですよ。

アルカディアは昨年社長職を新しい世代に引き継ぎました。私が信頼する社長がしっかりと育ってくれていて、会社を未来永劫発展させていくために頑張ってくれている。彼にとって、これから様々なことがあると思います。そんなものは『過ぎてみれば楽しかった』と思えるようなもの。そこに挑戦していく彼と、彼と共に歩んでくれる社員たちに、本当に拍手を送りたい。
令和2年10月19日公開

株式会社アルカディア (上田市小泉)

HP http://www.arcadia-ueda.co.jp/