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「季節のたより」 桜花くれない

表通りの喧騒をよそに、都市部であることをしばし忘れさせる、 たおやかな静寂が包む東京高輪台。その一角に谷戸を巧みに配した日本庭園をもつ、高輪Pホテルがあります。 庭園に植えられた、数十本を越える染井吉野の古木は、その幹の無骨さに 似ない艶やかな花房を、梢の一枝にいたるまで纏い、闇空を覆っていました。 巧みにコントロールされたライトアップの明りと、ぼんぼりの薄明かりが絶妙な バランスで花房を浮き立たせ、妖しいまでの美しさを放つ夜桜を、さらに妖艶に 演出していました。
また、「桜月夜」さながらのおぼろ月が、中空に浮かび至福とも言えるひと時を与えてくれました。桜と言えば、西行の
願わくは 花のもとにて春死なむ
           その如月の 望月のころ
の和歌が思い出されますが、かの西行もこのような情景に、心浮き立つ一時 をもったものと推察されます。
西行の時代から800年余を越える歳月を経ても、桜に寄せる人々の心は、そう大きくは 変わっていないのではないでしょうか。
「染井吉野」の桜は、幕末の江戸、染井において、植木職人の手による品種改良の末、実生から造られたものと聞いています。 この桜にまつわる悲しい物語は、確か「恋紅」と言う題で直木賞作家の 皆川博子が書いていたように記憶しています。
ただ、この「染井吉野」の桜の咲き誇る様には、美しさを認め ながらも、なぜか反発を感じてきました。
咲き満ちて鮮やかに散る桜に、おのれの人生を重ねて潔く散る ことを「誇り」とした戦時下の若者達。その思いの底に咲いていた 花が、「染井吉野」の桜以外に考えられなかったからです。
人生のほろ苦さは言うに及ばず、その甘さすら味わうこともなく 蕾のままに散っていった若者達。その無念さを、信濃の山奥に楚々と咲く 「深山桜」という、桜に出会ってからより強く感じてきました。
生きることの切なさと豊かさを、その山桜の咲く様に諭されたからでも あります。
咲くこと、散ること、薫ること、実ること。さらに、冬芽をそだてることが、 一つの命の連鎖であることを、残雪を残す尾根に咲く、桜の老木に教えられた 思いがしました。そして、開花を錯覚し蕾のままに散っていった若者達に、 この桜の咲く様に一目触れて欲しかったとの思いも・・・。

季節を彩る花の中で、桜ほどいろいろな思いをかきたてる花は他に ありません。咲く様も、散る様も、そして淡紅にそまる花芽の様も。人は、桜の開花から散り際に至る、まばたきにも似たひとときに仮託して、 人の世の儚なさや、切なさや、哀しさを自らに語りかけるのではないでしょうか。 その花びらの数にも似た諸々の思いと、人に語り得ぬ物語の数々を。
なお、このひと時でさえ砲弾の雨の中、命の危機にさらされているウクライナの皆さんを想うと胸が締め付けられるように痛みます。とにかくロシアの侵略戦争をやめさせ、停戦が一刻も早やからんことを心から祈りたいと思います。こんな思いを短歌に詠んでみました。
    実りへの予兆も秘めて散りゆくや 大地に降り敷く桜花くれない
    戦禍をも越えて咲きつぐ桜花 香り届けよウクライナの地へ
    語り得ぬ思いに散るや桜花 山河に満つる哀しみも連れ

                        HP編集委員 S.Motegi

大島桜

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