「夾竹桃」への思い
観測史上最大規模と形容された台風10号は勢力を増しつつ九州に上陸後、迷走しつつも日本列島に甚大な被害をもたらしつつあります。この台風に見舞われる前の列島は「命の危険を伴う炎暑」が続いていました。
そんな、熱波を伴う炎暑の下、夾竹桃が濃い紅の花を揺らしていました。「美しいけれど、たまらなく嫌いな花。なぜって、生きることを強いるから・・・」と、 遥かな青春の日の友の呟きが甦ります。
長崎での体内被曝と言う重い十字架を背負いながらも、「はんなり」の趣そのままの楚々とした雰囲気をまとう女性であったその友。重い血液の病との死闘の果てに、夾竹桃の咲く葉月のつごもりに身罷りました。炎暑のもとで敢然と咲く夾竹桃は、つらい生を貫こうとする者へ、無言の励ましを送っているようにも見えますが、時にはむごい鞭のようなしなやかさをもって生への希求を主張しているかに感じます。
夾竹桃は、人類史上初めてもたらされた一発の原子爆弾によって焼野原となった広島で、「75年間は草木も生えない」と言われながらも、いち早く咲いた花でもあります。それは、瀕死の傷を負い、生き残った広島市民に復興への希望と勇気を与えてくれたと言われており、市の花にもなっています。
重い血液の病を背負いながらも、「自分と同じ辛いめに合う者をこれ以上作ってはならない。そして、ナガサキに続く原爆の被害を三度起こしてはならない」との強い想いと祈りを秘めた、行動するキリスト者でもあった友。その時代、既にニューロコンピュータ(人工知能・AI)の優れた研究者の一人で、その研究に打ち込む傍ら、核廃絶の運動に真摯に取り組んでいました。
襲い来る激痛と、不安とによる死よりも惨い生をひたすらに、ひたむきに生きた友。「何十万を越える人々の死の代償として、この世に生を受けた私は、その人達の分も一分でも長く生きなければ・・・。生きることが辛いなんて言ったら、 天国へ行ったあの人達に申し訳ないわよね」との言葉と共に・・・。
また、「怒りを祈りへ」と、祈ることの深淵を血気盛んな私に教え諭した方でもありました。 青春の真っ只中、研究室の片隅で出会ったその友の印象はあまりに鮮明で、その友によって教えられ、切り開かれた世界は未だ私の中に鮮明な映像として残っています。その友が取り組んだ研究課題は今、生成AIとしてコンピュータ等ICTの新たな革新的な扉を開けようとしています。
この友は赤と白の夾竹桃の咲き乱れる、夏の日に短い生涯を閉じましたが、この友の想いを受け継ぎ語り継ぐこと。また、拙いながらもその想いを詠いつづけること。それを私の一つの責務として課して来たとの思いもあります。
夾竹桃の花は八月に逝った、否、生きたくても生きられなかった友の、さらに、戦争と、原爆による、あまたの死者たちの無念と、血潮にも似た涙の結晶を思わせる深い紅色を滲ませています。そんな想いに寄せて、手向けの花の一つとして短歌を捧げたいと思います。
☆涙呑みケルンを積みし峰遥か 君逝く葉月 またも巡りて
☆重たかり胎内被爆の十字架よ 無念も言わず君は旅立つ
☆ナガサキの背負いきれない悲しみを 抱きしままに君はたびたつ
☆怒りをも祈りに変えよ 君が声 葉月の闇にまたも響きて
☆祈りさえ無力に思える日々を経て 君が想いを静かに継がん
2024年8月30日 S.Motegi(HP運営委員)